思い出に変わるまで 1 記事No.4256
2013-01-29-Tue 08:59:24その日、私は、アルバイト先の電話を使っていた。
アイスクリームの発注を富山にある工場にダイアルするためではない。
いや、その電話はもう済んだのだが、もう一つ電話をする用事があった、
店長の目を盗んで。
そもそも、私が採用されたのは、アイスクリームを売るためでなくて、発注や
女の子では重いアイスクリームの搬入作業を手伝うためだ。
その店長はいつものように、発注頼む、で私は隣の部屋にはいる。
発注ともう一つの電話を使うために。
私がかけていたのは、自動音声対応の機械だ。
一つは、発注を自動的に受ける、対応装置で、
もう一つの、音声対応装置は、ただのアナウンスだ。
私はそのただのアナウンスを、10円かけていつも聞いていた。
電話先 田中貴金属 金市況情報
今日の値段と、動いた理由を聞く。
なんといっても、家庭教師で稼いだすべての金をこの市場につぎ込んでるのだから。
といっても、デリバティブなんて言葉も知らない、言葉もない。
先物も経験がなく、かといって、田中貴金属で、現物を買ったわけでもない。
すでにメープルリーフはメジャーなものであったが、純粋な投資家になった私には、
その売却時の手数料、つまり、売値と買値のスプレッドが大きすぎて、不利だ。
高校の同級生は、彼女へのプレゼントは、この金貨と決めていた。
ネックレスになったし、価値があるものだし、
なんと言っても
別れた後に、返してもらえば、換金して、次のプレゼントに備えられる
から、 だ。
さて、私の選択は、もっとも安心できる投資先、機関として銀行を選んだ。
銀行で扱っている、金投資だ。
もちろん、一日単位で、換金できるし、通帳に、何グラム、何円で買ったか記入されていて
楽しい。
安心できる銀行(当時は、すべての銀行は安心できるものであった)として三和銀行を選んだ。
30万円!はあった。
30グラムの金を、3000円近辺で、3回買った。
なぜって、
NY金

金は、1979年12月にソ連がアフガニスタンに侵攻して

800ドルという歴史的な、信じられない! 高値を付けた後だった。
その後静かにしていたが、にわかに、ペルシャ湾が危うくなって、金市場の動きに市場が
注目しはじめのだ。
とくに、週刊誌で、金は、上がる!と特集していた。
私は、それに夢を託したのだ。それも3流週刊誌に。
バブル発生前の遙か前の話である、この時点で、金がどうなって、株式市場がどうなるか、
それは、誰も予想できない、意外な展開となることなど、それこそ、神様だって、
知らなかったかも知れない。
この高値を金が抜く!、でもそれは、戦争のせいじゃない、
いや、むしろ戦争ができないから、金を上げたのだ、なんて、だれも想像できない。
金は今、1650ドルだ。
さて、しかし、私の夢を託した金は、当時全く動かなかった。
いくら、テレホンサービスを聞いても、20円か、30円動いて、上下するだけだ。
となりで、店長は怒っている。
唯一、彼が投資に理解があったのが、救いであるが、店の電話を使ってはいけない。
金が上がるための条件は、戦争が起こることだ。
それは、自分の投資のために、平和を望まない、という矛盾を招く。
自分と他者、幸せの代償、いやいや、投資と割り切っても、変な自分に気づいていく、
自分は、戦争を望んでいるのか、それでも平和で、金が、1000円下がってもいいのか。
矛盾が続くそんな平和な世界で、金はじり安となり、いよいよ決断の時は来た。
金預金前解約
このアイスクリームの時給を入れて、さらにでかい投資をしなければ・・・
金もだめだし、
パチンコももうダメだ、なにせ釘が読めない、777になってしまったから。
競馬はもっと簡単に還元率が不利であることが分かる。
残ったものは、一つしかない。
しょうけんかいしゃ か?!
アルバイトの友人が、そこに就職した、遊びにおいで!と。
私は、意を決して、西銀座に出向いたのだ。
つづく・・・・・・
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