■ 1964年東京オリンピックが決まった相場を振り返る 4 ■■■ 株 初心者 記事No.4918
2013-09-15-Sun 16:10:15■ 1964年東京オリンピックが決まったのは、そもそもいつか相場を振り返る 1■■■
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■ 1964年東京オリンピックが決まった相場を振り返る 2■■■
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■ 1964年東京オリンピックが決まった相場を振り返る 3■■■
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今年は、東京オリンピックが決まって東京ドームも悪くない。
東京ドーム(9681) 週足

この東京ドームには、都内でもっとも素晴らしいスパ ラクーア がある。
このスパラクーアがなぜ良いか、と言えば、それは、水風呂が素晴らしいからである、と
以前お話しした。それがサウナのポイントだ。
さて、もう一つ、素晴らしいサービス ローリーがある。
「本日は東京ドーム スパ ラクーアにお越し下さいましてありがとうございます。
このローリーは、本格フィンランド式高温蒸気圧で発汗を促進させるサービスです・・・・・」
と担当のアルバイトは、対流を起こすバスタオルを持って話し始める。
「本日は、私 高木が担当致します。」
ここで、サウナに入っている満員の客が拍手をする。
昨日は、そこに一人の意気盛んな若者がいた。
客が入ってくる度に、おっす、と言い、気軽にみんなに話しかける。
「ローリーはアロマオイルを含ませた水を熱したサウナストーンにかけ、
高温の蒸気を対流され、一気に発汗を促します。本日の香りは、ヒノキです、ヒノキは・・・」
ここでも、彼は大きな拍手とともに、回りを引き込む。
「それでは、対流を始めます。通常サウナは80度に設定されていますが、蒸気が対流しますと
上段から熱い空気が流れてきます、体調に合わせて、中段、下段とお移りください。」
回りからは、熱いかなあと小声が聞こえる。
彼は言う。
戦後の復興時に日本人はこんな事ではめげなかった、耐えて強かったんだ!
「では2回目の対流を行います、手を上げて頂ければわかりますように、温度は天井に
近いほど高くなります、顔を伏せ、背中で熱波をお受け止めください。
熱すぎる場合など、体調に合わせて、ご自由にご退室願います。」
熱い蒸気が室内を包むと、耐えられなく、出て行く客が数人現れる。
彼は言う。
日本人なら、こんなところで出るはずはない。
それでも数人は、途中で出て行った。
ローリーは、最後の対流を行って終了し
「このあとは、外気や、水風呂で体温を冷まして下さい、本日はありがとうございました」
彼は言う。
日本人なら、このあともここで我慢するよな。
もちろん、そんな言葉を聞かず、開かれたドアにいそいで、全員が退出する。
私は、このローリーを何回も受けているが、今日のそれは、非常に熱いものではなかった。
なぜなら、バスタオルを振って対流を起こすアルバイトが、とても緩かったからだ。
私は、このローリーのバスタオルの振り手は、キムくんに限る、と思っている。
いつも、熱波を望む私でも、このキムくんの時の上段は、相当に厳しい、
顔が痛い、のだ。
キムくんのそれは、はじめの対流から、バスタオルを、蒸気をみんなに、あてがうように
力一杯振り回す。
これでもか、これでもか、と続く。
だから、筋肉隆々、いつも、挑戦しているようだ。
隅々まで、熱波が、その客ひとりひとりを襲う。
彼に言われるまでもなく、それが、今の日本人なのだ。
韓国人のキムくんの力強いそれは、日本と、韓国の、エネルギーの差なのだ。
キムくんはなかなか現れないが、緩いバスタオルの振り手を見て、
寂しさを感じるのだ。
戦後、日本は、復興と共に、熱波を、背中でなく、正面から受けていたに違いない。
1961年 日経平均は、オリンピック前のピークを迎える。
1961年 日経平均 週足

この時の高値 7/18の1829.74円
この年の連続記録は、前年12/21から1/11まで続いた14連騰。
14連騰1回
10連騰2回
8連騰2回
7連騰1回
6連騰1回
という華々しいピークであった。
しかし、このあとは、オリンピックが終わるまで、一度もこの高値を抜けず、
1968年9月にこの高値を抜くまで7年間の期間を要することになった。
1964年東京五輪が1959年に決定されてから、上昇率は232%
期間は113週を費やしたトレンドなった。
この間に、26週線は一度も、下に向かなかった。
そうして、オリンピックへの株価はピークを付けたが、それは、日本が世界に肩を比べる
ための出発点にしか過ぎなかった。
日本はその後、熱波を正面から受け止め、追いつくべき、米国、ドイツに向かって
日夜働いた。
もちろん、土曜日でも証券会社も銀行もやっていたのだ。
そして、世界のTOPにたった企業は、TOYOTAを始め、一つや二つではない。
キヤノン(7751) 1972年

私たちは、今、もう一度、その出発点に返ってきた。
本物のプライドを持って、戦うことができるかどうか、
それに期待して、この連載を終える。
そう、最後に、サウナのあの若者も、みんながでて、仕方なく、友人と渋々サウナを出たことを
お伝えしておく。
ただし、彼の座っていた場所は、もっともサウナスト-ンから遠い、最下段の席であった。
--次回 バブルの始めの始め につづく・・---
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